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金 一(キム・イル、、1910年3月10日 - 1984年3月9日)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。国家副主席、政務院総理(首相)、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員などの要職を歴任した。別名は朴徳山。 == 経歴 == 咸鏡北道で誕生。1932年から朝鮮共産党の地下活動や大衆団体の扇動を積極的に展開。中国共産主義青年団延吉県委書記〔和田春樹『金日成と満州抗日戦争』(平凡社、1992年)、134ページ。〕。1935年10月に満州の抗日パルチザンに参加。東北抗日連軍第6師第8団政治委員〔和田春樹『金日成と満州抗日戦争』(平凡社、1992年)、201ページ。〕。ソ連領に入った後は第88独立狙撃旅団第1大隊党書記〔和田春樹『金日成と満州抗日戦争』(平凡社、1992年)、331ページ。〕。 1945年8月に朝鮮が解放されると、11月にモスクワを出て、12月中旬に北朝鮮に到着〔下斗米伸夫『モスクワと金日成』(岩波書店、2006年)、47ページ。〕。その後、朝鮮共産党の党中央執行委員に就任。翌1946年4月に北朝鮮労働党中央委員会常務委員兼政治委員となり、9月には第一部文化部副師団長を兼ね、朝鮮人民軍の強化発展に寄与した。1948年の朝鮮民主主義人民共和国建国に際し、第1期最高人民会議代議員に選出され、以後、死去するまで代議員を務める。朝鮮戦争(1950年 - 1953年)では朝鮮人民軍文化部司令官、民族保衛省副相(次官)〔「敗北主義」を理由に50年末に解任。下斗米(2006年)、115ページ。〕、内務省政治局長、前線司令部軍事委員、平安南道の党委員会委員長を歴任。 1953年6月には朝鮮労働党中央委員会書記に就任。同年8月、第2期党中央委員会第6回総会において新設の党中央委員会副委員長に選出された〔下斗米(2006年)、147ページ。〕。1954年3月、内閣副首相に任命され、翌月には農業相(大臣)を兼任。朝鮮戦争後の復興と社会主義の基礎建設に関する政策を進めて党の路線を整備した。1956年4月の第3回党大会において党常務委員会委員(政治局員)に選出され、党内序列第4位となる〔下斗米(2006年)、209ページ。〕。1962年10月23日、第一副首相に昇格。1966年10月の第2回党代表者会において、党政治委員会常務委員(政治局常務委員)・中央委員会書記となる。 1972年12月27日、第5期最高人民会議第1回会議で朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が制定され、内閣が政務院に改組された。12月28日、金一は初代の政務院総理(首相)に任命された。1976年4月29日、国家副主席に転任。金一は首相や国家副主席として北朝鮮の対外活動を主導し、1979年には祖国平和統一委員会委員長も兼ねて、韓国との交渉にあたった。1980年10月の第6回党大会で党政治局常務委員に再選。 1984年3月9日、国家副主席在職のまま死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金一 (政治家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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